事務局メンバーの、仕事にまつわるエトセトラ 「やまりょう、仕事辞めるってよ。」
第5回目となる今回は、TWDWで広報チームに所属し、サテライトプログラム「75歳現役マーケッターに聞く、20代のためのキャリア戦略」の企画もする事務局メンバー、「やまりょう」こと山本遼さんに、自身の仕事のストーリーを語っていただきます。
事務局メンバーの山本、通称やまりょうです。
TWDWブログ、ということで、今日は、自分の転職にまつわるお話をしたいと思います。
2015年春、僕は3年と1ヶ月勤めた会社を辞めました。
未練がない、といえば嘘になる、けれども、ともかく僕は仕事を辞めました。
僕がもともと勤めていた会社は、不動産の会社でした。
愛媛県にある、社員数約100名、創業30年と少しの中堅企業でした。長年かけて生み出したユニークな取り組みは、全国的に有名で、よく他業者の視察が来ていたのが印象的です。
そんな会社の、僕が惹かれた点は、ずばり「手をあげれば挑戦できる土壌」。好奇心の強い僕は、志望動機でも履歴書でも、とにかくその点を推していました。
そして、2012年4月、住宅業界大手の選考を断り、僕は晴れて新入社員になる。配属は、オープンから1年たった一番忙しい店舗、すごくわくわくしました。
苦悩と葛藤の社会人1年目
しかし、1年目は、全くもって仕事を楽しむ余裕なんてありませんでした。初めての会社員生活は、戸惑う事の連続でした。こんなにも覚える事があり、こんなにもお客様からお金をもらうことが難しいなんて。夜遅くまで先輩に仕事を教えてもらいました。「なんで、こんなに仕事ができないんだろう」とか「自分には合わない、迷惑かけるし辞めた方がいいんじゃないか」とか思っていました。
平日休みだった僕は、友人とも休みが合いませんでした。飲みに誘われても、断る日々が続きました。もしくは仕事もいいわけだったのかもしれない、自分の仕事を楽しめない、そんな姿を大学時代の友人には見せたくないのが本音だったのかもしれません。
一方で、悔しさもあった。「あのとき、こうしていれば」、「もっとこうすれば」、そんな思いは溜まっていった。相変わらず、上司や先輩にはつきっきりで教えてもらっていました。
付きっきりで教えてもらった先輩のおかげか、次第にできる仕事が増え始めました。そして1年目の3月、ついに社内で売上が1位となりました。奇跡だと思ったし、実際運の要素も強かったです。けれど、今までいろいろ教えてくれた先輩やお世話になった上司が、「よくやった」と言ってくれたのが、すごく嬉しかったのを覚えています。
仕事の楽しさを知った2年目。そして迎えた転機。
2013年11月、僕は東京に来ました。
創業30年、初の県外出店は、東京。会社としても思い切った決断でした。出店する際の店長をサポートする、そんな社員として上京、社会人2年目にしてすごい転機でした。
東京での社会人生活は、業界の文化も違えば、ルールも違う、だからこそ、疑問に思う事もありました。今まで、スムーズだったことも、うまくいかない毎日でした。しかし、とても刺激的で充実した日々でした。
2014年11月、上京して1年が経ちました。
僕は上司を昼食に誘いました。
「仕事を辞めたい」と相談しました。すごく勇気の要る決断でした。刺激的な生活だったし、毎月安定して給料が入ってきます。休みだって、きちんと決まった日数あります。何より、今まで本当にお世話になりました。
それでも自分の好奇心が押さえられなくなっていました。不動産に関わらず、暮らしの豊かさをどこまで追求できるか気になりました。
本当にありがたいことに、上司には引き止められました。でも、自分の好奇心には敵わないませんでした。昔、大学生だったとき、元気だったじいちゃんに言われた、「鶏口となるも牛後となるなかれ」その言葉を思い出しました。
上司と相談の結果、繁忙期が明け、ボーナスをもらう直前、5月末で会社を辞める事にしました。同じ店舗で働く仲間には、人事や上司にのみ伝えただけで、3月末まで言いいませんでした。理由としては、同じ気持ちで働きたかったから。しかし、とても心が苦しかったです。
そして、5月末になりました。1ヶ月の有休消化を終え、僕の短い会社員生活は終わりました。
会社を辞める、と聞くとすごく勇気の要る決断に聞こえるし、実際に勇気のいる事でした。
それでも一番、強く自分の働き方を意識したのは、去年のTWDW。次から次へ、様々な働き方をした登壇者がいました。僕は、「会社で働く」なんてそんなに違いはないんじゃないか、そう思っていたので、いきいき自分の働き方や仕事について話す彼らに、嫉妬し同時に勇気づけられました。
「自分にはどこまでできるのか?」
今は、フリーランスとして、不動産メディアの運営やシェアハウスの管理、不動産の活用の仕事をしています。
「不動産の可能性」というのは、供給側よりも需要側の意見を聞けば聞く程、広がりがあります。法規に縛られる事もあれば慣習で行なっていない事もあります。その1つひとつを細かくみると、可能性にあふれています。最近では、どこまでがプライベートで仕事か、その線引きさえも曖昧です。
辞める際、社長には「活躍している様子が愛媛まで伝わるように頑張れ」と激励の言葉を頂きました。
愛媛まではまだまだ遠い、けれどそれを超えられるように、僕やまりょう、こと山本遼は仕事をします。
いかがでしたか? これを読んでいる方の中には、やまりょうと同じように迷ったり、次のステップに進もうとしている方もいらっしゃるかと思います。そんなときはぜひTWDWの各プログラムに参加して自分自身の働き方、生き方を考えるヒントにしてみてください!
山本さんが手掛ける、サテライトプログラムはこちら。
2015/11/24 (火) 19:30 - 21:30
0コメント